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津久見市立第二中学校 昭和40年3月卒業生 同窓会

同窓生お便りletter

◆笠木俊昭君からのメール


和さんへ
還暦同窓会の世話役、ご苦労様です。
インターネットという文明の利器で、前回の、合同同窓会の写真を、拝見させて貰いました。
写真をみて、すぐに誰、と分かる人、分から無い人、相応の顔つきになっていて、年月の経過を感じます。
中津留賢介さんのホームページから、仲野哲雄さんにも連絡することができました。
てっちゃんも写真家として、大きな賞をとり、こんな嬉しいことは有りません。
中津留義政や、ずっと仲良くしている者とは、私が大分に帰った際、都町に繰り出して、元気を確認しています。
7年前に、船員を辞めて、現在は、呉市の神田造船所でドックマスターという職に就いています。
60歳の定年を迎えましたが、日本人船員の減少で後任者も居なくて、しばらくはこちらで働くことになりそうです。
今回の同窓会も、仕事と重なり出席出来ません。
還暦同窓会HOME PAGEに和さんの名前がありましたので、懐かしくなってメールを送ります。
何時までも元気に活躍して下さい。   笠木俊昭


和さんへ
中津留組の成洋丸は、平成14年に当社にやってきたときは、麒一郎さんの息子さんが、監督で来ていました。
中津留一成ちゃんは中津留組専務として、当社修繕部及び、自社船員からもとても評判が良く、何度も当社事務所に来ているということで、子供の頃良く一緒に遊んだ彼と、何時か会えるものと楽しみにしていましたが、突然の訃報で悲しい思いをしました。
昨年は、宮崎産業海運のRO/RO船「ほくと」が入渠しました。
津久見の懐かしい名前を聞き、警固屋公園前にあった宮崎産業海運の旧社屋などに思いを馳せました。
当社では、川尻工場の他にタグボートから3000トンクラスまで入渠可能な浮きドックを持つ若葉工場があります。
機会が有りましたら、どうぞご利用下さい。
和さんの家では、恰幅の良いお父さんと優しい綺麗なお母さんの印象が強く残っていますが、私たちが当時のお二方を超える年齢になってしまいました。
吉本市長はじめ、津久見を支えている同窓の人たちの活躍を、これからも、インターネットで拝見させて頂きます。
今日はありがとうございました。   笠木俊昭


和さんへ

賢介さんの骨折りで、インターネット上ですが、懐かしい顔ぶれに、会うことが出来ました。
賢介さん、世話役の皆に感謝です、ありがとうございます。
時々会っている人は時の流れを感じませんが、中学卒業後会ったことのない人は誰だったか分からない人もいました。
還暦になってみると、還暦とはこんなに元気なのかと驚いています。
時々帰る大分で、会えるのを楽しみにしています。  笠木俊昭



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